山峡の地 清滝に集落が生まれたのは。
山峡の地 清滝は 保津川(桂川)の支流である清滝川との合流部=川の呼び名で落合と呼ばれる地点から約2㎞上流部に位置する渓谷沿いに点在する小さな集落です。
愛宕山麓から流れ出る‘清らかな水’を保つ、京都でも数少ない納涼避暑地であり、また、秋は屈指の紅葉の名所として名高い景勝地です。
田んぼも畑もなく、食に乏しいこの山峡の地に人が住みだし集落をつくり出したのは、江戸時代初期の頃だといわれています。
この頃、諸国に‘火伏せの神さま’‘火廼用心の神さま’を祀る愛宕山信仰が諸国に広がり、信者組織「講」が各地に生まれ、代表たちが愛宕山を目指し、参詣登山を行う活動が盛んになりました。
愛宕山麓で登山口に位置する清滝では、この参詣者が泊まる宿場、また食事処として,
旅館やお茶屋を開業して住みついたのが集落の成り立ちだったのです。
清滝にあった私の実家もお茶屋さんで、屋号を「泉屋」といい、泉州から移り住みました。
清滝ではそれぞれの出身地を屋号にするお店も多く「伊賀屋」や「吉野家」などもあり、集落では今でも苗字ではなく「〇〇屋さん」と屋号で呼び合っているのです。
その後、昭和の高度成長期まで清滝は、宿場まちとして、また、美し自然景観を愛でる観光地として栄えていきます。
が・・・
清滝集落の変遷については、追々詳しく書いていこうと思っていますが、とりあえずは、清滝発祥の起因となった愛宕山と愛宕信仰について、次回から語って参りたいと思います。
‘清滝がふたたび、輝く その日を夢みて・・・’
*写真は旅館・かぎや(鍵屋さん)です。
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